面癘鬼

面癘鬼(めんれき)

【解説】

 古い面が化けることは「面癘鬼」といって、昔からあることなのだという。

【物語】

 昔、泉屋銀七という人がいた。銀七の母親の妙心は上町のはずれにある小さな屋敷で隠居していたがある年の12月22日の夜に、 明日は毎年恒例のめでたい餅つきの日だからと言って銀七の家に来て、銀七には自分の隠居の留守番を命じた。 親に余計な世話をさせてもいけないと思って隠居へ行くことにした。

銀七は隠居に向かう途中で友達の吉助の家に立ち寄り、家から出て来た吉助に「明日は餅つきの日だから今夜から母が私の家にいるのだが、 世話がかかるから今夜は隠居に留守番に行く。 私一人だと寂しいので、吉助殿も暇であれば話がてら泊まりに来ないか」と聞くと、 吉助は喜び「幸い今夜は暇だから御一緒しよう」と言って共に隠居に向かった。

 二人は炬燵に火を起こして酒を温めて飲み、一軒家なので周りを気にすることもなく浄瑠璃や小歌、 世間話などで喚き散らしていた。いつの間にやら酔いもすっかり醒めてしまって、 次第に夜も更けもの寂しくなってきた。町から離れた家なので北風は激しく戸を叩き、遠い寺の鐘も九つを打ち余計に目が覚めてしまっていた。

 吉助がふと台所の方を見ると、いつの間にか一人の女が髪を乱して、空色の布子に紺の前垂れをして上り口に後ろを向いて腰かけていた。 吉助は驚いて銀七に知らせて女の方を指差した。不思議なことに戸の開く音もしなかったがいつの間に来たのだろうか。何者だろうか。と思い、 二人で「貴女はどこの人だ。どうしてこんな夜更けに来たのだ」と声をかけたが返事もせず、二人で不思議に思い行燈を下ろして、これはまあどこの人だ。 なぜ返事もしないのだと上り口に近づくと彼女は立ち上がり、西の味噌桶を置く部屋の隅の方に行ったので、そこを行燈で照らしてみると、 どこへ行ったのか女の姿は消えていた。

 なんと不思議な。何処へ行ったか姿も見えない。戸を開ける音もしなければ、開けられた様子もない。 これはどうしたことだと二人で顔を見合わせ互いにぞっとして、身の毛がよだって恐ろしく、行燈を下げて炬燵の端に寄り合い、 こんな町はずれの一軒家に、とりわけ夜更けに女一人で来る理由もないし、それに戸が開く音もせず、 やっぱり不思議だとまた台所を見るとあの女がやっぱり上り口に腰かけている。

 吉助が「うわぁまた出た。見たまえ」と叫び、二人とも布団をかぶって震えながら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と小声で唱えはじめたが、 なにしろ冬の夜は長いので、眠ることもできずに千年待つかのような心持ちで夜明けを待った。 ようやく八つの鐘も鳴り鶏の声が方々から聞こえてくると、女はどこに行ったのか見えなくなっていた。二人は女が消えてもなお恐ろしく鼻息もできずに震えていた。

 夜明けとともに二人は生き返ったかのような心地で急いで家に帰ったが、顔色は土のようで未だに震えは止まらず家族は皆不審に思っていた。 吉助が昨夜のことを語ると、銀七の母がそれを聞いて「前もって話しておくべきだったのを忘れていたのだが、二人ともびっくりしただろう。 あれは私があの家に移ってから毎夜出てくるのだ。いつまでも何も言わず顔も見せず、 私も初めは恐ろしかったが今は慣れて恐ろしくもない。ただ腰かけているばかりで上にも上らず、今みたいに夜の長いときは、逆に退屈しのぎの話相手に丁度いい。」という。

 銀七は怪しく思って吉助と共に再び隠居に行き、この敷地の中に狐狸の巣穴でもあるに違いないと考えて庭の隅の植え込みまで探したが何も見つからない。 今度は家の中の天井から床下まで捜索したが、やはり怪しいものは見つからない。 女が消えたのは物置の隅の方だったことを思い出して、そこで古道具をとりのけ物の下まで探っていると鼠の巣と思われる場所から古い面を発見した。

 これを吉助とともによく見ると、鼠が齧りかけたのか鼻や口のあたりが欠けて、他にも数か所剥げているところがあった。 あまりに古くいつの時代のものかも判らないが熊野か何かの面のようで、作りは粗いがこのしおらしい表情には何とも言えぬ良さがある。 銀七は、あの妖女が顔を見せなかったことと面の顔が欠けていることを合わせて思い出して、なんという面倒くささだと思いながら面を持ち帰って母に見せた。

 面を見た母は手を打って「これは懐かしいものが出た。これは私が小さいころに遊んでいたものだ。私も買ったものなのか貰いものなのかは知らないが」と答えた。 この面が見つかった後はあの女は二度と出ることは無くなり、皆で不思議なものだと言い合った。

 その後銀七が個人的な用事で上京したときに、この面を面師の兒玉なんとかという人の下役で細工に詳しい人に見せた。 詳しく見た後に「この面は一般的に春日面と言って、並の者の作ではない」と言うので、銀七は面というものは奥が深いのだなと感心した。 この面を得た経緯を聞かれて銀七がこれまでのことを話すと「なるほど。この面には昔から度々不思議なことが起こる例があるのだ」とも語った。

 雑に扱ってはいけないと思い、銀七は喜んで面を丁寧に巾箱に入れて宝物としたがその後鎮守の神殿に奉納したという。

 さて、この妖怪を見てもありふれたもののように思っていたことからわかるように、 銀七の母親は女の身でありながら無類の心の強さを持っていた。人は酷く老いると精神が少しずつ衰えていき、 物に感動することも怪しいものを見て怪しく思うことも無くなるため怪しげな災いを受けることも無くなり、逆に奇物を得られるのだと昔から言われている。

【補足】

 【物語】に引用したのは『御伽厚化粧[1]』の「古屋に妖怪を見ること」という話だが、【解説】の部分は『日本妖怪変化史』でこの話を引用したときに付け加えられた部分である。 よって「面癘鬼」の出典は『日本妖怪変化史』とした。 「面癘鬼」の名は『百鬼徒然袋』の「面霊気[2]」が変化したものだと思われ『日本妖怪変化史』の挿絵にも「面霊気」の絵が載っているが、なぜ変化したかは不明。

 この影響か、後年の水木しげるの妖怪図鑑では「面霊気」の解説に「古屋に妖怪を見ること」の内容が使われることも多い。 また「面癘鬼」の名前はその後岩井宏實の『暮しの中の妖怪たち[3]』や『少年少女版 日本妖怪図鑑[4]』に用いられた。 今回絵のモデルとしたのは『少年少女版 日本妖怪図鑑』の挿絵の「めんれき」である。

【掲載資料】

  • 『日本妖怪変化史』

【参考資料】

  • [主]『江馬務著作集 第六巻』江馬務(著)/中央公論社/1977年
  • [1]『徳川文藝類聚 怪談小説 第四』早川純三郎(編)/国書刊行会/1915年
  • [2]面霊気 - Wikipedia(外部リンク)
  • [3]『暮しの中の妖怪たち』岩井宏實(著)/文化出版局/1986年
  • [4]『少年少女版 日本妖怪図鑑』川端誠(絵),岩井宏實(文)/文化出版局/1987年

【コメント】

 『少年少女版 日本妖怪図鑑』は小さいころから繰り返し読んでいた妖怪図鑑なので、本自体にもこの本に載っている妖怪にも思い入れが強いです。

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【履歴】

2017年9月28日:Twitterでの紹介

2019年4月17日:N鬼夜行での紹介